知ってた?体操着のあれこれ
みなさん、こんにちは!
気付けば今週で11月も終わり、
とうとう今年も残すところあとひと月となりました。

さて、突然ですが運動はしていますか?
健康のために、ダイエットのためになど理由は様々ですが
大人になると理由がないと
なかなか運動する機会もなかったりします。
最近は寒いので、余計に足が遠退きがちですよね。
そう考えると、子どもたちは授業とはいえ
定期的に体育で身体を動かしているのでとても健康的ですね。
そんな、体育ですがみなさんが子どもの時や
お子さんたちは体育の時には何を着ていますか?
体操着などを着ていることが多いと思いますが
その体操着、実はちょっと面白いことがあるんです。
今回は、そんな体操着に注目してみたいと思います。
●地域によって違う?!
日本では、ほとんどの地域で体育の時に体操着を着用します。
ところが、北海道の小学校では体操着はありません。
そもそも、着替えの時間がないそうです。
では体育の時にはどうするのか。
それは、着ていった洋服そのままで受けるのです。
体育のある日は、動きやすい自前のジャージや
汚れても良い私服などで登校するのだそうです。
ただなぜ北海道の小学校に体操着がないのか、
という明確な理由はわからないのです。

体操着がある他の地域でも、その種類は様々です。
主に北日本では長袖の体操着があります。
関東から西日本にかけては
年中半袖というところも多いですよね。
また、体操着に襟がついているもの・ついていないものなど
地域だけではなく学校によっても様々です。
みなさんのご近所の学校でも、それぞれの特徴があると思いますよ。
●体操着の歴史
では、そんな体操着ですが
日本で取り入れられたのはいつ頃からだったのでしょうか。
明治頃までは、男性は軍服のような服装
女性は和服を着用していたそうです。
体操着としては1903年(明治36年)に井口阿くりがアメリカ留学から帰国後
アメリカでブルーマーズと呼ばれていた
スカートの下にズボンをはくスタイルだったものを参考に
「体操袴」というものを作ったのが始まりとされているそうです。
形としては、いわゆる『もんぺ』のような感じでした。
ただ、当時はあまり普及せず実際に普及され始めたのは
大正時代に入ってからなのだそうですよ。
その後、戦後にかけて太もも丈くらいの『ちょうちんブルマー』となり
平成の初期ごろまでは、
ニット素材のショーツ型のブルマーが主流になります。
ちなみに、このショーツ型。
1964年の東京オリンピック女子体操選手の
レオタードの影響でこの形になったのだそうですが
やはり不評が多かったそうです。
現在では、男女問わないユニセックス型の
クォーターパンツ、ハーフパンツなどが主流ですよね。

●謎だらけの赤白帽?!
さて、体操着と言えばもうひとつ忘れてはいけないものがありますね。
小学校で良くかぶる赤白帽です。

一説には赤白帽は、昭和の中期・後期に活躍した柳家金語楼という
喜劇俳優・落語家・発明家でもあった方が発案したのが始まり
とされているそうです。
ではなぜ、赤白だったのかというと詳細は不明。
ただ、運動会でも紅組・白組にわかれてやるように
源平合戦が元になっているのでは?とのこと。
最近では、カラフルな帽子も多く
幼稚園や保育園でもかぶっていることが多いですよね。

幼稚園や保育園の子たちは、熱中症対策のために
首元に布がついているものをかぶっていることが多いですが
小学校のものは、日よけも小さいので
何を参考に作られたのか、というのはこれまた不明なのだそうです。
一説には、戦時中の軍帽が参考になったのでは?
と言われているそうですよ。
確かに言われてみると似ている気がします。
当たり前のようにかぶっていましたが
実は謎だらけだったということに驚きですね!
いかがでしたか?
身近にあるのに、意外と知らなかった体操着。
こんなにトリビアが隠れていたとは思いもしませんでした。
当たり前にあるけれど、実はよくわかっていないものというのは
結構多いのかもしれませんね。
これからも、そんな謎を見つけたら
ママ職ブログでお伝えしていきたいと思います♪

【参考】
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